「玉名牧場」があるのは、熊本県玉名市の三ツ川という地域。 標高約200mの山頂を切り拓いた14haの敷地では、約30頭のジャージー牛と、約250羽のニワトリを通年放牧しています。 "自然の営み"をお手本にした自給自足から、自然農法による米や野菜の栽培、養鶏・酪農、 さらにはチーズの製造・販売や、ホエーの有効利用を目的とした養豚を行うようになりました。 現在は予約制で、牧場見学やランチ提供なども実施しています。※牧場見学・ランチは、いずれも組数限定。事前の予約が必要です。
生まれたときからアトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患を持っていた私のために、母は「できるだけいいものを」と食材や調理法を工夫し、毎日の食事をつくってくれました。とはいえ、当時の日本は、高度成長期のまっただなか。環境や食についての意識が今ほど高くなく、自然農法という概念すらなかった時代です。結局、アトピーやぜんそくなどのアレルギー疾患をひきずったまま大人になり、プラントエンジニアとして働き始めました。あるとき、無肥料栽培を実践する農家の友人に、「農作業の手伝いにこないか」と誘われました。デスクワーク漬けの日々で、出張に行けば工場で缶詰状態でしたから、農作業は気分転換にうってつけ。農業を生業にするなんて考えたこともありませんでしたが、それでも休みのたびに、喜んで通うようになりました。手伝うたび、「お礼に」と、その農場で育ったお米や野菜をいただいたのですが、そのおいしいこと!食べたあとの体調変化にも驚きました。ずっと悩み続けていたアトピー症状が少しずつおさまるのを感じました。「これはなにかが違う」。その「なにか」が何なのかわからないまま、だんだん農業がおもしろくなり、郊外に土地を借りて1年間、出勤前の早朝や休日を利用して畑と田んぼをやってみました。もちろん、無肥料・無農薬の自然農法です。いま思えば、それが玉名牧場の最初の一歩です。
玉名牧場をつくるうえでもうひとつ、指針となっているのが、子どもの頃のいなか生活です。母方の実家が畜産業を営む傍ら、米や野菜を栽培していました。庭先には放し飼いのニワトリがいて卵を採取し、傍らでは犬や猫が遊んでいる、いわゆる昔ながらの里山の暮らしの情景が、玉名牧場の原点でもあります。自然農法にめざめてからは、一般の農家や養鶏場、酪農家など各地に出向き、自分なりに良いものと悪いものを見極めるちからを養いました。そうして本格的に土地探しをはじめ、出会ったのがこの場所です。山の中腹から、道なき道を進んでたどり着いたこの場所の第一印象は、"ジャングル"でした。閉鎖から20年近く、台風や経年劣化でボロボロになった牛舎がポツンとあるだけの牧場跡に2000年、入植。うっそうと生い茂る草木を伐り出し、畑を開墾して野菜をつくりはじめました。そのなかで、常にイメージにあったのは幼い頃に見た、おじおばの暮らしぶり。里山の暮らし、すなわち"生きかた"に、自分が求める暮らしのヒントがすべてあると信じて、ここまでやってきました。
持続可能な農業を楽しく営みたいという思いから「楽農ファーム」と命名。自給自足で足りるくらいを考えていたため、酪農についてはジャージー牛2頭からスタートしました。このうちの1頭は、今でも玉名牧場のアイドルとして君臨するアイちゃんです。最初は放牧や、牧草を食べることに慣れない牛もいるなど、育ってきた環境や餌がどれだけ大事かを思い知らされることばかりでした。根気よく続けていくうち、環境に適応する牛が増え、数が安定してきたところで、牧草を食べた牛のミルクのおいしさをたくさんの人に知ってもらいたいと思い始めました。チーズやバターの製造に取り組みはじめ、工場ができたのが、2006年のこと。それと同じ時に、「楽農ファーム」から「玉名牧場」へ牧場名を変えました。チーズづくりを学ぶために東北・北海道に何度も足を運び、何度も失敗を繰り返しながら「玉名牧場」のジャージー牛の乳質に合うつくり方を模索しました。そうしてできた製品のひとつ「ルミエール」が2011年に、くまもと食品科学研究会大賞で最優秀賞を受賞しました。「牧草の恵み(カマンベールタイプ)」「フロマージュブラン」「クリームチーズ」「モッツァレラチーズ」とともに、自家製ナチュラルチーズ5種は、多くのファンに支えられ、玉名牧場の主軸の製品となっています。
玉名牧場があるのは、熊本県玉名市三ツ川。有明海を望む標高約200mの山頂。縁もゆかりもなかった玉名のこの場所を選んだのには理由があります。それは、輸入飼料に頼らない完全放牧の酪農と、環境にやさしい自然農法による農業を実現するため。温暖な九州で、ほどよい高地であれば、一年を通して牧草やいろいろな作物を育てることができます。さらに玉名には、数多くの古墳が残っています。そこからうかがえるのは、この土地は太古の昔から多くの人が定住するほど住みやすく、災害に強い土地だったということです。江戸時代には、肥後藩の半分をしめるほどの石高を誇る、肥沃な土地だったというのも裏付けとなりました。平坦な土地ではなく、あえて山の上を選んだのは、山地の多い日本における山地酪農のモデルにしたかったから。そこで参考にしたのが、モンゴルの遊牧民の生き方や、アルプスの山岳地帯に昔からつづく酪農や、ニュージーランドの酪農スタイルです。冬場はイタリアンライングラスやケンタッキーブルーグラス、夏はソルゴーとバヒアグラスなど、季節に応じて葉を伸ばす数種類の芝を使い分け、放牧場には年中、新鮮な牧草を保てるようになりました。
玉名牧場では、東京ドーム3つ分、約14haの広さの牧草地で約30頭のジャージー牛を通年放牧しています。年中、青い牧草だけを食べて育つ牛の乳は、高タンパクで濃厚なうまみと甘さが特徴です。また、四季折々の野菜や米を無肥料・無農薬の自然農法で栽培。こうして栽培した米や麦・大豆などの副産物(ぬか、ふすま、くず米、くず大豆、おからなど)を食べて育つのが、約300羽の卵用鶏です。放牧場の周囲には、それぞれ100羽ずつを放し飼いにする養鶏場が3つあり、ニワトリたちはあおあおとした牧草をついばみながら、のびのびと暮らしています。さらに、ナチュラルチーズを製造する際に出てくる、ホエーと呼ばれる栄養価の高い水分を有効活用するために、ホエーを餌として与えています。この豚を「ホエー豚」として加工しています。
自然農法家や酪農家、畜産家、養鶏家のもと、さまざまな場所で学びを重ねたとはいえ、玉名牧場入植当時は新規の就農。畑も田んぼも、放牧もなにもかもが手探り状態で、はじめの数年は文字通り試練の日々でした。たとえば、2002年より耕作をはじめた田んぼは、2年目に雲霞(うんか)で絶滅したことがあります。害虫と呼ばれるものが発生するには、なんらかの理由がある。そう考え、土壌づくりから取り組みはじめることに。お米を育てるために適した"本来の"土に還すことに時間をかけました。今では雲霞も発生することなく、年々収量が増えているくらいです。また、玉名牧場の自然農法では、山の循環をお手本にした腐葉土にくわえ、雑草も大切な要素のひとつ。あるとき、作業の手が回らなくて畑の雑草を取りきれないことがありましたが、いざ収穫してみると、雑草が残っているところだけ土がふかふかとやわらかいことがありました。雑草が根を張ることで、自然と土が耕されているのだと、自然が教えてくれたのです。
自然に教えてもらったことの最たるものが、酪農です。牛はとても頭がよく、習慣づけさえすればその通りに動く生きものです。もともと、自らの力で草を食む習性を持つ牛も、つなぎ牛舎で育つとその習性を忘れてしまいます。最も大変だったのは、牛の本能をよみがえらせ、完全放牧で草を食むことに適応させるまで。十分に草を食べることができずにだめになってしまう牛もいましたが、根気よく続けていくうちに、生きものが本来もっているものが目ざめるのか、自然に牧場の環境に適応していきました。自然の流れにそってやっていくうちに、ここをこう変えればうまくいくのではないかという見通しも利くようになり、次第に大きな失敗も減っていきました。ニワトリの放牧場に子牛たちを放ち、早くから草を食べる練習をさせるようになったのもそのひとつです。田んぼも畑も酪農も、年数がたてばたつほど、どんどん手がかからなくなっていきます。大切なのは、本来の自然の循環に戻すことです。玉名牧場の"楽農"は、すべて自然が教えてくれたものです。